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行天元財務官 インタビュー要旨

<坂本氏>
私には、最近の為替相場が、20年前のプラザ合意の時と同じテーマの中で動いているように思えます。すなわち、当時も今も、米国の経常赤字を他国がファイナンスするという「世界的な不均衡」がテーマとして取り上げられているわけです。
1985年のプラザ合意当時、行天さんは、国際金融局長として、そしてその1年後からは財務官として多難な時期に対米交渉を担っておられました。行天さんに在任当時の状況をお伺いすることは、既に為替市場に参入されている方々、そしてこれから参入される方々にとって大変有意義なものになると考えます。

インタビュー
坂本 軍治氏

1985年のプラザ合意基づきまして、G5各国当局は、大規模なドル売り介入に踏み切り、ドル高の水準訂正に動きます。為替相場を動かすことによってマクロ経済の調整を試みた「歴史的な大実験」という印象を受けたのですが、G5各国の間で「ドルを各国通貨に対して何パーセント切り上げる」というような合意はあったのでしょうか。

リーガン・スプリンケルチームと米国の「双子の赤字」

行天 豊雄氏

<行天氏>
そのような合意はなかったと思いますね。
そもそもプラザ合意に至った背景として、米国のレーガノミックスの「影の部分」が非常に大きかったということがあります。レーガノミックスの結果、米国の財政赤字が拡大しましたが、米景気は良くなり消費が増え、輸入が増加しました。輸入の増加によって貿易赤字が拡大すると、財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」の状況に陥りました。また、インフレ抑制のために米金利は引き上げられ、高金利のドルは異様に高くなったのです。結果として、米国内で保護主義的な圧力・要求が非常に強くなり、当時のレーガン政権は、何らかの対応を迫られるようになりました。

80年代前半の米政権は、ロナルド・リーガン財務長官とベリル・スプリンケル財務次官の体制でした。当時、私はこの二人とやり取りをしていたのですが、リーガン長官はそれほど国際経済・金融に対する造詣が深かったわけではないようでした。スプリンケル財務次官は典型的なマネタリストでしたね。リーガン・スプリンケルチームは、「為替相場は金融政策の結果であり、政策の手段として操作すべきでない」という考えだったのです。

彼らは「経済のマクロ状況が変わるような政策が必要である」として、日米円ドル協議をスタートさせました。円ドル協議は、要するに「日本は貿易黒字国であるのに、何故円が強くならないのか」という話でした。米政権は、「日本のマーケットが歪んでおり、その歪みを直せば当然円は強くなるだろう」と考えていたと思います。円ドル協議を受けて、日本の金融市場の規制撤廃、自由化が当時かなり進んだと思います。

ところが、円相場は全く動きませんでした。米国の「双子の赤字」の本当の原因が、むしろ米国側にあったからです。

ベイカー・ダーマンチームへの交代とプラザ合意

当時、レーガン大統領の首席補佐官として議会対策を行っていたのがジム・ベイカーでした。議会の保護主義圧力を、身をもって感じていたベイカーは、「自分がやればもっとできる」という気持ちがあったのでしょう。彼は、ロナルド・リーガンと交代して財務長官になり、腹心のリチャード・ダーマンを財務副長官に連れてきました。「リーガン・スプリンケルチーム」から「ベイカー・ダーマンチーム」への交代です。

チームの変更がもたらした最大の変化は、米国が、為替相場を「積極的な国際経済外交の手段」として考えるようになったことです。ベイカー・ダーマンチームは、「米国の不均衡是正の為に、米国がイニシアティブをとってドル高を是正する」という姿勢をとり、それがプラザ合意につながりました。 1985年9月22日のプラザ合意の際、それぞれの通貨に対してドルをどの程度切り下げるか、というようなことを決めていたわけではありません。但し、当時の米財務省は、「ドルの実質実効レートを何パーセント下げると、米国の経常赤字がどの程度減るか」というような計算はしていたと思います。政治的なことも考慮した上で米財務省が到達した考えが、「10〜12%のドルの切り下げは必要であり、その程度の切り下げであれば、大きな混乱をもたらさないだろう」というものでした。米国は、その考えをG5の他の4カ国にも説明しましたが、他の4カ国も、米国の考えに対して特段反対はありませんでした。

インタビュー

驚くべきは、当時の竹下登大蔵大臣の反応でした。「米国の経常赤字拡大と保護主義圧力の高まりは、日本にとっても非常に危険である」という政治的な判断があったのでしょう。また、ベイカー・竹下両蔵相が非常に親密であったことも、その判断に影響したのだと思います。竹下大臣は、「米国を助けるためなら、日本は、円が20パーセント切り上がっても我慢する」というようなことをベイカーに告げたのです。このことは全く報道されておりませんが、ベイカー財務長官は、日本の反応に驚き、かつ喜んだ様子でした。

プラザ合意後、ドル円は、3ヶ月間で240円台から200円台までドル安円高が進むのですが、少なくとも「ドル高を是正する」という目的においては、予想以上の成功を収めたと言えるでしょう。

ドルの暴落とルーブル合意

<坂本氏>
しかし、ドルを切り下げても、結局米国の貿易赤字は減りませんでした。それどころか、ドルの下落が止まらなくなり、「ルーブル合意」へと至ります。ルーブル合意当時、やはりドルの下落に対する危機感があったのでしょうか。

行天 豊雄氏

<行天氏>
85年から87年にかけてのドルの下落は相当なものでしたから、各国当局者は、やはり危機感を持っていました。ルーブル合意は、為替政策としてプラザ合意とは基本的に違いました。プラザは「ドル高の是正」を目的とし、ルーブルは「現状の維持」を目的としていました。87年当時、各国当局者は「現状がドルの均衡水準」と思っていた、というよりも「思いたかった」のです。ところが、マーケットは、「ドル高の是正はまだ不充分」と捉えていました。この当局者とマーケットとの認識のズレが、ルーブル合意が失敗した最大の原因であったと思います。

為替介入に対する考え方

<坂本氏>
行天さんは、財務官在任中にドル売り介入も、ドル買い介入も両方実施されました。為替介入を実施されるなかで、「市場は制御することができる」というような考えをお持ちだったのでしょうか。

<行天氏>
いいえ。私は、「マーケットにショックを与えて反応させることは可能」だと思いますが、「マーケットを教育する、育てる」というようなことは全く無理だと考えています。人間の子供の場合は、一生懸命「これが正しいことですよ」と教育すれば良い子に育ちますが、マーケットの場合は、そういう意味で良い子を育てることは絶対できないでしょう。マーケットには絶えず新しい人が入ってくるわけです。すなわち、昨日の話を聞いていた人が、今日はもう居ないのです。マーケットに影響を与える(為替介入)というのは、あくまで「ショックを与えてその反応を生み出す」ということだと考えます。

行天 豊雄氏

だから、介入によってかなりの期間相場を安定させるようなことは、どう考えても無理だと思います。しかし、マーケットが一方向へと非常に群集心理的な動きを示している時に、要するにマーケットが「酔っ払っている」ような時に、介入によってバケツの水をかぶせる。そうすると、マーケットは何となく目が覚める。そういう意味では、介入は効果があるでしょう。

そもそも群集心理的な一方向への動き自体、いつまでも続くものではないでしょう。例えば200円であったドル円が150円になり、100円になり、80円になってくると、市場参加者の中に、段々と「そろそろ終わりかな」という不安が出始める。そして不安を感じる人が徐々に増加し、ある日、相場が反転に向かい始める。その時、当局が介入という手段によって、市場の中に既に芽生えている不安感に決定的な支援を与えるということはできるのです。そうすると、「相場が行き過ぎた」と考える人の数が一気に増加し、相場が大きく反転するのです。

<個人投資家へのメッセージ>

<坂本氏>
最後に、今後も個人投資家の為替市場への参入は続き、マーケットは拡大して行くのではないかと思いますが、個人の市場参加者に対して一言いただけますでしょうか。

インタビュー

<行天氏>
為替の分野でも個人の運用が活発になることは、当然のことだと思います。こうした動きは現実として受け止めるべきですし、できるだけ多くの方がそのような活動から利益を享受されることが望ましいですね。 ただ、長年為替に関わってきました私も、「明日の為替がどうなるか」は分かりません。分かったようなことを言う人もいますが、私には分からない。これは絶対一生変わらないと思います。

リスクを取って分からないものを売買されるわけですから、当然それなりの注意・準備をしないといけませんね。そして、最大の注意は、要するに「自分の許容範囲はどれだけなのか」ということをご自身で考えられることだと思います。リスクを取ることができる許容範囲を冷静に考えていただく、ということに尽きるのではないでしょうか。この点だけは決して忘れずに、その範囲内であれば大いにやってくださいと私は申し上げたい。

 

(インタビュー実施日:2007年9月21日)
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