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内海元財務官 インタビュー要旨

<坂本氏>
「為替レート」には、内外の金融・経済状況や国際政治情勢等が凝縮され、反映されていると思います。このため、「どのような背景・過程で今日のドル円レートの水準に至ったのか」という外国為替市場の歴史を振り返ることは、個人投資家の方々にとって為替レートの変動要因を知る上でも大変有益なものになるのではないかと考えています。
今回は、1985年のプラザ合意以降の通貨外交が本格化していく時代に通貨外交を担われた内海元財務官にお話をお伺いします。

まず、1985年のプラザ合意に至った経緯とプラザ合意の持つ意味、そして、プラザ合意後のドル安円高進行に対する各国の反応についてお話いただけますでしょうか。

プラザ合意に至った背景

内海氏

<内海氏>
プラザ合意前、米国ではインフレ進行・経常赤字拡大にもかかわらず、レーガン政権の高金利政策を背景にドルが非常に強い時代が続いていました。(プラザ合意前のドル円の水準は1ドル250〜260円)。1980年代前半、米国はロナルド・レーガン政権の下、ドナルド・リーガン氏が財務長官に就任。当時の米国政権は、ドルの上昇について「市場は常に正しい」「決して行き過ぎではない」という考えを堅持していました。

しかし、(1985年2月に)財務長官がジェイムズ・ベイカー氏に交代すると、米政権は「マーケットをこのまま放置しておけば、米経常赤字は一層拡大する恐れがある」「為替は適切な水準で安定すべき」という考えに変化しました。米国は、まず日本に「為替相場を安定させるため、何かアクションを取ろう」と相談を持ちかけ、その後、欧州諸国も「為替相場について何らかのアクションが必要では」との考えであることを確認。こうして、1985年9月のG5(米国、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)におけるプラザ合意に至りました。

プラザ合意の持つ意味

<内海氏>
プラザ合意の持つ大きな意味は、「G5がはじめて『為替がファンダメンタルズを反映しないことがある』と認めたこと」でしょう。この認識に基づき、G5各国は為替をファンダメンタルズに即した形で安定させるための共同行動として、為替市場でドル売りの協調介入を実施しました。もう一つの重要なポイントは、「G5がマーケットに対して『劇場効果』を発揮した」ことだと思います。当時のG5には、米国のベーカー財務長官や日本の竹下登大蔵大臣、後に仏の首相となるベレゴヴォワ仏蔵相など、各国の「名優」が揃っていました。

内海氏

そして、それまではG5での議論の内容を公表することはありませんでしたが、プラザ合意の時に初めてG5コミュニケ(声明)を発表。マーケットという聴衆に対してG5がシアター(劇場)を作り出し、「劇場効果」という形で大きく効果を発揮しました。

プラザ合意後の日本の反応

インタビュー

<内海氏>
プラザ合意とその後のドル売り協調介入を受け、ドルはその後下落に転じました。ドル円は240円台から翌1986年には160円割れまでドル安・円高が進行。この頃になると、今度は日本政府内に「直ぐにでもG5を召集し、円高阻止を行いたい」という考えが出てくるなど、日本国内で急激な円高進行に対する懸念が生じてきました。私は86年6月、駐米公使から国際金融局長として帰任しました。

7月に就任した宮沢大蔵大臣から一人で大臣室に来てくださいと指示され訪ねると「プラザ合意の際に、どこまで円高にするかをきめないでやったことが失敗だったのではないですか」と聞かれるなど、厳しい状況下での出発となりました。しかし、この時点ではまだG5各国に「円高が行き過ぎ」という共通の認識は無かったため、たとえG5を召集したとしても『円高阻止』について各国の合意を得ることは難しい状況でした。

とりわけ、ドル円レートは米通貨当局がドル円レートについてどう思っているかに絶対的な影響を受けました。87年1月、ベーカー財務長官は「ドルの下落は妥当」との発言を繰り返し、ドルは下落していきました。ドル円レートが米通貨当局の態度に影響を受けることは今も変わっていないと思います。

しかしながら、140円割れになったあたりから、米国の態度が変わり、一緒に円売りドル買いの介入をしてくれるようになりました。当時、米財政赤字のファイナンスは日本の機関投資家が担っていましたが、ドルがどんどん下がっていくようだと、日本の機関投資家は米国債を買い控える可能性があり、ファイナンスへの不安がでてきたためです。米国は頼んだことはなかなかやってくれませんが、自分が困ると一緒にやってくれます。

私は、米財務次官補であったダラーラと毎晩電話で話しあい、「これ以上のドル安円高は好ましくない」とはっきり宣言することが重要であると主張しました。その結果、87年4月の中曽根・レーガン会談において日米両国が更なるドル下落に対する懸念を表明することになりました。この中曽根・レーガン会談を受け、ドル安円高は終息に向かうこととなったのです。

米国の対日通貨外交の変化:「円高カード」

内海氏

<内海氏>
プラザ合意以降のドル安円高局面を経て、米国の対日通貨外交に大きな変化が出ました。クリントン政権(1993年発足)になり、対日交渉のなかで意識的に「円高カード」を使い始めたのです。日本政府が円高進行に敏感に反応している様子を見て、「対日外交には円高カードが有効」であることを学んだのだと思います。

1990年代前半、日本は「バブル崩壊」・「政局混乱」という状況下にありました。にもかかわらず、ドル安円高が大幅に進行し、1995年4月に1ドル=80円割れまで下落したことは、米国の「円高カード」の影響が大きかったと考えざるを得ないでしょう。

但し、米国で「ドル安・株安・債券安」のトリプル安の様相を呈してくると、米政権自身もドルの更なる下落に懸念を持ち始めました。その結果、1995年7月7日の日本のドル買い円売り介入(「七夕介入」と呼ばれている)に続き、米国も日本に協調してドル買い介入を実施。介入の効果もあり、ドル円は1996年初には105円台を回復することとなりました。

このように、米国の態度がドル円の為替レートに大きく影響を与えたのですが、米国の影響力の大きさは現在でも変わっていないのではないかと思います。

ユーロ導入のインパクトと今後の世界の通貨体制について

<坂本氏>
欧州におけるユーロ導入のインパクトと、今後の世界の通貨体制についてどのようにお考えでしょうか。

<内海氏

ユーロ誕生の一番大きな意味は、「ドルと競争出来るような基軸通貨が誕生した」ということでしょう。ユーロは導入当初こそ信認を得難い状況でしたが、トリシェECB総裁を中心とした欧州中銀の金融政策、また最近の米国サブプライム問題への機敏な対応などを受け、ユーロの信認は確立してきたと思います。

インタビュー

ドルが唯一の基軸通貨であった時、米国はドルが下落したとしても然程ドル離れを心配する必要がありませんでした。現在では、ドルが下落するとユーロへ資金をシフトさせる動きが強まります。このため、米国もドルの下落を放置し難くなったのではないでしょうか。ユーロの誕生と信認の確立は、国際通貨の安定に大きく貢献していくのではないでしょうか。

円の国際化と中国人民元について

坂本氏

<坂本氏>

「円の国際化」が謳われて久しいですが、円はなかなか国際通貨としての地位を確立出来ていません。一方、中国人民元の存在感が増してくると一般的に見られていますが、この点についてどのようにお考えでしょうか。

<内海氏>

人民元の存在感が増してきたといっても、元はまだ交換できない規制通貨です。日本が為替制限を行っていた時代と同じような状況です。人民元が国際通貨としての地位を確立するというのは、まだまだ先のことではないでしょうか。

「円の国際化」については段階を追ってだと思います。日本企業の多くが、輸出の際には使い勝手のよいドルを使っています。日本人自身の円の利用もまだ「国際化」しているとは言えません。ただ、それでも円は徐々に国際的に使われ始めています。例えば1997年のアジア危機後、日本からの膨大な援助がアジア諸国に対して円建てで実施されました。その分、アジア諸国の外貨準備には円が積まれている状況です。

個人投資家の皆様へのメッセージ

<坂本氏>

最後に、最近外国為替市場に参入されてきた個人投資家の方々へメッセージをお願いします。

<内海氏>

1998年のロシア危機当時も、円キャリートレードが話題となっていました。そうした中、数日間でドル円が1ドル=140円台から115円台へと大幅に下落したことがありました。140円台でドル買い円売りを積極的に行っていた日本の機関投資家は、この下落を受けて115円台では凍りついていました。しかし、ある川崎の信用金庫では1億円のドル預金をした個人がいたそうです。それを聞いて、「個人は逆張りの発想があるのだな」「機関投資家よりもスマートなのかもしれないな」と思ったことがあります。

内海氏

機関投資家など、サラリーマンが仕事で為替取引を行う場合には「群れ」になる傾向があります。「皆と違う動きをして失敗すると、上司からきつく言われてしまう」「皆と同じ動きをしていて皆と同じように損をしても、上司からそれ程言われない」という心理が働き易いのでしょう。

機関投資家とは違って、個人は独自の判断で動くことが出来ます。個人投資家の方には、あまり「群れ」にならず、「独自の判断」、「逆張りの発想」などを考えながら、且つ「リスクを抑えながら」取引を行っていただきたいと思います。そのことが為替市場の健全な発展のためには大切なのではないでしょうか。

 

(インタビュー実施日:2007年9月20日)
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