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溝口元財務官 インタビュー要旨

<坂本氏>
知事が財務官に就任された2003年1月当時、日本経済は、デフレ危機に陥り八方塞がりという状況でした。また、国際政治の場では、米国のイラク侵攻を控えて情勢が緊迫化し、世界のマネーフローが安全志向へと大きく変わるなど、ある意味非常に劇的な時代であったと思います。そのような状況下で、知事は日本の国益をかけて大量為替介入を実施されたわけですが、過去の介入とは大きく異なる特徴が二点あったのではないかと思います。

まず一つ目に、金融・財政政策が共に手詰まりとなる中で、初めて為替政策を国策の基本に置かれ、為替政策だけで孤軍奮闘されたという印象を受けたのですが、いかがだったのでしょうか。

デフレ脱却に向けた日本の政策

溝口知事

<溝口知事>
おっしゃるように当時日本はデフレの真只中にあり、その中で、ドルから安全通貨への逃避という動きもあり、円高が進行しました。日本経済はやはり輸出企業がリードしています。円高の進行は、その輸出企業に更なる悪影響を与え、デフレの深刻化、すなわちデフレスパイラルに陥る恐れがありましたから、この「デフレ下での円高」は、どうしても阻止しなければなりませんでした。

当時、金融政策ではゼロ金利、量的緩和を既に実施しており、他に打つ手がありませんでした。また、赤字が続いていましたので、財政出動というわけにもいきません。「もう為替政策しかない」、大臣以下そういう決意で望んだわけです。小泉総理も、「日本は改革を進めてデフレ脱却を目指しているが、今円高が進むことは困る」と、ブッシュ大統領との会談やその他様々な機会でおっしゃっていました。他に手段がないという異常な事態に対して異例の対応をした、ということだと思います。

大規模介入に対する各国の理解

<坂本氏>
二点目に、米国もあの当時はまだ政策金利が1%の時代で、ようやく景気が浮揚してきた、という段階でした。35兆円にのぼる大規模介入に対し、対米摩擦という点で何かございましたでしょうか。

<溝口知事>
基本的に、他国のサポートがなければ、大量介入はできません。日本が単独で介入したとしても、それを米国や欧州が公然と批判すると、市場は、「日本の政策は支持されていない」と考え、却ってドル売り円買いに拍車が掛かることになります。私の在任当時は、世界中が、「日本がデフレスパイラルに陥ると、世界の市場に大きな混乱をもたらす恐れがある」という認識を共有していました。日本経済をある程度支えることが彼らにとっても良いことだという認識が、特に政策当局にありました。

溝口知事

もちろん、米国の自動車産業、労働組合などからは、介入に対する批判がありました。しかし、米国政権、財務省当局は日本の行動に理解を示していたと思います。

国内では、日銀総裁が速水さんから福井さんへと交代しましたが、福井さんは、「デフレからの脱却が中央銀行に課せられた最も大事な使命」という認識をお持ちだったのです。日本銀行は量的緩和を瞬時・機動的に進め、政府は為替政策で必要な介入を行う、というようにデフレに対処する足並みが自然に揃いました。

死守ラインについて

インタビュー

<坂本氏>
最初の介入は118円台で実施され、その後、段階的に介入をされました。当時、「このレベルは死守する」というようなセッティングはあったのでしょうか。

<溝口知事>
そのような死守ラインはありませんでしたが、いずれにしても、急激に突っ込んでいくような円高進行は阻止しなければという強い気持ちは持っておりました。しかし、外国為替市場の規模は大きく、介入で一時的に阻止しても、また元の動きに戻ってしまいます。やはり現実に介入を実施していても、一定のラインで止めることは難しいですね。私が財務官に就任した2003年1月以降円高阻止の介入を継続しましたが、円高は止まらず、結局(04年2月には)105円辺りまで円高が進みました。当時、もちろん口外はしませんが、頭の中では、「100円を割るようなことになってはいけない」という気持ちはありました。仮定の話ですから何とも言えませんが、「介入をしていなければ100円を割るような事態が生じ、その過程で行き過ぎが起こって経済の心理を冷やすということが生じただろう」という気持ちはあります。経済の心理が冷えてデフレが更に進むことを阻止するのが介入の最大の目的でした。

<坂本氏>
そうしますと、当初から35兆円規模の大量介入になるということは予想されていなかったということでしょうか。

<溝口知事>
それは、予想してはおりませんでした。市場の投機的な動きがどの程度のものになるかということは、分かりませんからね。しかし、介入は、相当の決意を持ってやらねばなりません。ある程度額が増えても、デフレ阻止のために止むを得ないという覚悟はありました。また、通常は、介入額が膨らむと、どこからか非常に強い抵抗が出てくるものです。しかし、先程申しました通り、当時我々の行動を止めようとする強い抵抗は、国内にも国外にもあまりありませんでした。

日米欧の基本的な為替政策スタンスの確立

<坂本氏>
大量介入を契機に、ドル円相場は110−120円というコアレンジで長く安定しましたが、一方、アジア通貨に対する円安は、どんどん進行しました。対アジア通貨での円安について中国や韓国から何か抵抗はあったのでしょうか。

溝口知事

<溝口知事>
中国、韓国などからも、あまり抵抗はありませんでした。むしろ、欧米から中国人民元のドルペッグについて議論が出始めました。こうした議論を受けて、まず2003年9月のドバイG7、IMF総会での財務官レベルの会合に、中国の次官級の方にも参加してもらいました。この時、欧州は、「中国ではドルペッグ、日本ではドル買い円売り介入を実施しているが、欧州では介入を行っていない。このため、ユーロに対するドル安圧力が高まっている」と主張していました。

内々の話の中で、一時、欧州が日本の大量介入について若干の注文をつけるようなこともありました。

しかし、ドルから他の代替通貨へ資産の移動が起きている中、オーバーフローしたドルを吸収する日本のドル買い介入は、むしろユーロ高(ドル安)圧力を緩和しているという側面もありました。この点に気が付いた欧州は、その後、「日本の介入に対してよりも、ドル自体を牽制をしなければならない」と強く考えるようになりました。2004年2月のフロリダ/ボカラトンG7では、日欧が協調して、「通貨の過度な変動、オーバーシュートは経済にとってあまり良くない」という文言を声明に盛り込みました。欧州は、「通貨の安定性“stability”が必要」という文言を入れたい程の気持ちだったのですが、一方で「柔軟性“flexibility”」も必要だったのでこうした表現になりました。“flexibility”と“stability”が一緒に声明に盛り込まれると、分かり難くなりますからね。「市場の状況に応じて、ある程度変動するフレキシビリティは必要。他方で、動きが一方向に行き過ぎ、オーバーシュートすることは望ましくない」ということです。

デフレ下の日本においてそのようなオーバーシュートが起きてしまうと、経済に破壊的な影響を及ぼす可能性がありました。「そのような時に介入をするのはやむを得ない」とは、明示的には書かれていませんが、そういうことを声明で実質的に確認したのです。日米欧の為替政策に対する基本的なスタンスは、この時ある程度確立・整備ができたと私は思っております。

日米欧の通貨競争力と、中国・インドなどの発展

<坂本氏>
海外のヘッジファンドなどからは、「円の実質実効相場をみるともっと円高になっていいのではないか」という声をよく耳にしますが、この点はどのようにお考えでしょうか。

インタビュー

<溝口知事>
円の物価上昇率を調整した実質レートは、プラザの前から日本の経済力が欧米の先進国に追いついていく形で強くなってきました。しかし、日米欧の総合的な経済力が均衡してきて、現在の日米欧の相場は、ある程度均衡に達してきていると思います。つまり、日米欧の通貨は、よほどのことがなければ、そんなに大きく変動しない状況になりつつある、と私は考えます。最近ユーロが若干強くなっているのは、ユーロ圏がドル圏に匹敵する大きさの経済圏になりつつあり、全体の資産配分の中でユーロへの配分が少なかったことに対する調整でドルからユーロへ流れる動きが出ているためでしょう。

現在では、中国やインドなど、人口が非常に多く、低所得・低生産性の国が大発展し競争力を高めてきています。為替が動かなければ、こうした国の競争力が非常に高く維持されます。この点が、世界のアンバランス問題の大きな一要素となっています。こうした状況に成熟した日米欧がどう対応していくか、これが一番大きな問題です。その過程で、ドルの相対的な役割が少しずつ低下する可能性もありますが、市場で自由に資本・モノが動く時代に、大きな危機に繋がるとは感じていません。

都市と地方の二極化問題について

<坂本氏>

日本では、都市と地方との間で二極化が進み、最近ではよく「格差社会」とも言われます。ドル円レートで考えると、実は東京などの大都市では1ドル=100円、地方では150円や200円程度が適正な水準であるようにも感じます。島根県知事に就任され、「地方経済の再生」という点をどのようにお考えになっていらっしゃいますか。

<溝口知事>

為替レートとは直接関係ありませんが、大都市では、確かに景気が良さそうに見えます。しかし、田舎の方が住みやすいという面もあるのです。本日も出雲空港から松江にお越しになる際にご覧になったと思いますが、田舎には豊かな自然があり、空気も澄んでいます。古い文化・歴史などもあります。

<坂本氏>

島根の石見銀山は世界遺産になりましたね。

溝口知事

<溝口知事>

 今、日本は目標とした欧米先進諸国に大体追いつき、成熟化した社会に移ろうとしています。大都市の喧噪を離れて、自然の中でゆったりと暮らしたい、自然の中で働きたい、あるいはそこで子育てをしたいと思う人々、大量生産のものではなく伝統的な文化や手作りのものを愛好する人々が増えています。

 私が43年ぶりに知事として郷里島根に戻って思いますのは、そこには、豊かな自然があり、古きよき歴史に育まれた伝統、文化が息づいており、現代の人々が求めるもののほとんど全てがあるということです。

 私は、この地で産業が活性化し、この地に企業が来る、若い人達が創造的な仕事をしながら子育てをする、日々の生活のなかで自然を楽しむ、そのような「活力あるしまね」を実現したいと考えています。情報通信網が整備され、島根と大都市や外国との通信・交通の便も格段に良くなり、重化学工業ではなく、情報産業などの小さい規模の企業でも、大いに活躍できる環境が整ってきました。米国でも、ニューヨークやデトロイトといった大都市ではなく、シリコンバレーやフロリダなど、自然が豊かで美しいところに企業が集ってきています。成熟化しつつある日本も、大都市だけでなく、地方に自立した活力ある中小都市が点在するような国づくりを目指す段階になったと思います。大都市に集中した人・モノの資源をもう少し地方に分散させていく政策が必要になってきています。日本の各地域で、多くの人が自然との共生の中で仕事をし、日々の暮らしを営めるような活き活きとした地方の小都市が増えていくことが必要です。

 私は、島根からもその一歩を踏み出したいと考えています。

 

(インタビュー実施日:2007年11月20日)
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