1977年にIMF(国際通貨基金)理事会で、中央銀行の為替政策のガイドラインが決められました
- 加盟国は不公正な競争上の優位を守るために為替相場を操作しないこと
- 輸出を伸ばすために意図的に為替相場を操作(為替介入)してはいけないこと
- 介入は短期的に乱高下し秩序が保てないときのみ認められること
が原則として定められました。
〜1978年11月1日 カーターショック・ドル防衛策
当時、アメリカでは貿易収支の大幅な赤字によって経常収支が赤字に転落し、インフレが加速していました。このアメリカのファンダメンタルの悪化を背景に、米ドルは主要通貨に対して急落、例えばドル円は5月の230円レベルから10月31日には175円台まで下落しました。
半年で55円のドル安円高です。
そこで、カーター米大統領は、
- 日本、西ドイツ、スイスの中央銀行とのスワップ枠拡大等による為替市場への協調介入の強化
- 300億ドルの介入資金調達
- 公定歩合の引上げ(8.5%→9.5%)
- 預金準備率の引き上げ
からなるドル防衛総合対策を発表したのです。
それを受けて11月1日、ドル円は1日で10円以上もドル高円安になり、その後もその流れは続きました。
〜1985年9月22日(日)プラザ合意・ドル高是正
レーガン大統領の時代のアメリカは財政赤字と貿易赤字(双子の赤字)が構造的に定着し、第一次世界大戦後初めて純債務国へと転落しました。
そして、ドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことを主目的として、1985年9月22日(日)、過度なドル高の対策のためにアメリカの呼びかけで、ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催されました。この会議で、
- 為替レートの調整によって対外不均衡の是正が可能であり、また有効である
- 為替レートは各国のファンダメンタルを反映すべきである
- 為替レートの調整は主要通貨の対ドルレートの上昇によって行なわれ、各国が直ちに介入によってこれを実現する
この会議は秘密裏に行なわれ、マーケットではまさに寝耳に水の状態でしたので、翌23日(月)には、合意が明らかになって最初に迎えたオセアニア・東京市場からドル売りが殺到し、1日で1ドル=240円レベルから10円もドル安円高になりました。
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